今朝の夢
女の子と海に来ていた。女の子は誰なのか知らないが親しそうだ。白いビキニを着ていて、笑顔は太陽に負けないくらい輝いていて、その姿に釘付けになった。一緒に隣の島まで泳ぐことになった。エメラルドグリーンの海、穏やかな日差し、海の中にはたくさんの魚たち。
島に泳ぎ着こうかという頃、ちょっと厄介な魚に出会ったので、私は鳥になってそれを引きつけ、彼女たちを先に上陸させてから、空を飛んであとから合流した。辿り着いた先は展示場の入り口ですでに案内係がそこにいて鳥から人間に戻るに戻れないので彼女に視線を引きつけてもらって、人間に戻った。中にはオーディオ機器(スピーカー)の展示がされていた。
朝鮮系の施設にいる少年から、ある男を暗殺する依頼を受けた。中に忍びこむのもドキドキだが、施設は1Fが工場のような場所で、若者たちが上官の指示で整列し、訓練を受けていた。
私は変装して脇を通り、依頼主である少年のいる場所へ向かった。階段を登ると外観は白い壁に、自動販売機があり、さながら学校か病院のようにも見えたが、少年の痛部屋は2階で部屋の中は1Fとつながっているようで工場のような印象だった。
壁などは赤茶に汚れていて、金属の錆とオイルによる汚れで覆われているようだった。2階からは1階の訓練の様子をうかがうことができるようになっていて、少年はそこにいた。彼から依頼を確認すると、どうやら1階のリーダーを殺して欲しいとのことで、私は私の上司と相談して対応することにして一度持ち帰った。
一度3階に上り、自動版履きでコーヒー牛乳を買った。その後1階まで降りて、ターゲットとなる上官の顔を確認したあと、外へと出た。私の上司に確認すると同じ依頼がもう1件あるようで、それも少女からの依頼のようだった。ターゲットを殺す方法を考えているところで夢から覚めた。
夢診断的なもの
気になるキーワードについて取り出してみる。
綺麗な海で泳ぐ
穏やかで美しい海の夢は、磨かれたセンスを持ち、穏やかな心理状態で、才能が開花し、成功を収めることを暗示。 恋愛運もアップし、相手に思いが通じて、素敵な恋愛が始まるでしょう。
誰かと一緒に泳ぐ夢は、あなたに協力者が現れ、手がけている事が順調に進むことを暗示。
魚が泳ぐ
魚が悠々と泳ぐ夢は、あなたの運気が向上していることを暗示する吉夢
鳥に変身する
自分が鳥になったり、風に乗ったりして気持ちよく飛ぶ夢は、あなたが自分の新たな可能性を大きく伸ばすチャンス到来の時期が到来したことを暗示。 あなたの運気も上昇気味ですので、新しいことにチャレンジしたり、今まで計画してきたことを実行に移したりする絶好の機会でしょう。 目標達成に向けて大きく前進する時ですので、積極的に行動してみると良いでしょう。
少年
夢の中の子供は、無邪気さ、頭の柔らかさ、ナイーブさ、依存心、育成すべきものなどの象徴。
忍び込む
自分がどこかに忍び込む、邪悪な欲望がある
暗殺者
知らない人を殺す夢の中の知らない人は、抽象的な周囲の人を指しています。 知らない人を殺す夢は、あなたが人間関係で激しい怒りや強いストレスを抱えて、これらを発散できていないことを暗示。 しかし、夢の中で人を殺すことにより、あなたの攻撃性や激しい怒りあるいは強いストレスは緩和され、問題は良い方向へ展開して行くと考えられます。 なお、夢の中の知らない人は、自分が気がついていない自分の一面を持った人格を表す事もありますので、ケースによっては自殺する夢と同じ意味のことがあります。
“夢の夢占い(http://astrology.neoluxuk.com/dream/)より抜粋”
自分なりの解釈
1つ目の夢は、才能の開花、協力者の出現、成功などを示唆しているものだと思うけど、2つ目の夢は、おそらく自分の中の自制する部分を壊して自由になりたいという、自分自身の欲求ではないかと思う。リーダーも、忍び込む自分も、依頼者の子供もすべて自分のことで、支配的な大人(な部分)を殺し、無邪気な子供(の部分)のように好奇心などに従って行動したいという気持ちの表れだと思う。
現在の状況
現在は理系のサラリーマン、昔から理系の勉強が得意だったので、何となく理系の学校へ進み、そのままサラリーマンになった。しかし理系が得意でも夢中になったことは全くない。かといって他にやりたいこともよくわからず、いつも何か欠落しているような、充実感を感じることもなくここまできたけど、自分のやりたいことは理系ではなかったのだと思う。
この夢を見た後にしたこと、思ったこと
今読んでいる小説を読み切った。東野圭吾さんの魔球という作品。
東野圭吾さんの作品には、ありそうだけど実際にはないものを起点に、事件にかかわる関係者がそれぞれに誰かのために「嘘」をついているというものが多い。そのほとんどは「情」によるもので、それが作品を読み終わった後の余韻として何かを残すような気がする。
東野圭吾さんという理系のサラリーマン出身の作家が、小説という文系の分野で活躍している姿をみると、自分の可能性は自分が作った枠で制限されているだけで、枠を取っ払うことができれば、もっといろいろな自分を出会えるのかもしれないなと思ってしまう。
触れたことのない分野だと、どうしても頭でっかちに自分にはできそうもないと、自分で自分に蓋をして自分の可能性をつぶしてきたのではないかと思うようになった。
その後何が起きたのか?(後日追記していく項目)
こちらにまとめて記載してありますので、興味のある方はどうぞ。
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